Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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2.「汎優生主義」の展開

「新優生主義」から「汎優生主義」へ
この「汎優生主義」自体は、イデオロギーであり、また信念であるに過ぎない。しかし、それが競争社会の中で、個人の生存を階層序列化するランク付けの価値基準として機能すれば、強烈な結果を生むことになる。すなわち、「不良な遺伝子の除去」あるいは「遺伝子の改変」という事態である。
「優生主義」とは、「不良な子孫」を除去することによって、一定の人口集団の力を強化することを理念に掲げ、障害者、精神病者、難病患者、感染症の患者等を負の社会集団として選別の対象とする思想と実践である。1996年、母体保護法へと書き換えられる以前の優生保護法(1948年施行)は、ライ予防法と歩調を合わせながら、第1条「この法律の目的」を「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母体の生命健康を保護すること」としていた。刑法の堕胎罪は残存しており、優生保護法は、「不良な子孫」の選別・抹消のための堕胎(人工妊娠中絶)を例外として許認可する「優生政策」として機能してきた。また、母体保護法も、「汎優生主義」へといたる社会的な流れに適合的する。
現在、生活習慣病などに関わる遺伝子(「肥満遺伝子」等)に言及する言説が目立つ。ここで、母体血清マーカーの遺伝子検査が、不特定多数を対象とするマススクリーニング方式として注目される。この検査により、あらゆる個人を遺伝的リスクに従って選別することが可能になる。(注1)
我々は、個人、カップルの選択による遺伝性疾患の診断、治療、予防を推進する思想と実践の総体を、「新優生主義(Neo-eugenics)」と呼ぶ。この「新優生主義」の潮流が、「汎優生主義」へと深化を遂げていくことになる。

 「ユビキタス社会」の登場とデータベースの実践
さて、「ユビキタス(ubiquitous)」という言葉は、「偏在する/どこにでもある」の意味を持つラテン語に由来する。「ユビキタス社会」とは、日常生活のあらゆる場面で、「この私は他人より、生存に値するか」という問の答がすでに与えられているような世界である。以下に、そんな一見夢のような社会の実現に関わる事例を紹介する。
事例1:「第16回 朝日ヤングセッション 坂村健講演会「トロンの夢・ひとの夢」(主催/朝日新聞社 後援/文部科学省・東京都教育委員会 協賛/協和発酵)に関する広告記事」(2003.11.15.朝日新聞)
「世界で一番たくさん使われている組み込みOSのトロン。その開発者である坂村健氏が推進する、どこにでもコンピュータがある環境「ユビキタス・コンピューティング」。あらゆるものに数ミリ角の大きさのコンピュータを付けてしまうことで、果てしなく広がる可能性についてお話になりました。もう始まっている未来社会の実感に、会場を埋め尽した約1000人の若者たちは想像力を膨らませていました(中略)たとえば小さなチップをクスリ瓶に付けて、人間の指にもコンピュータを付けておく。「私はこういうクスリを処方されていて、飲まなくてはいけない」ということをユビキタスに付けたコンピュータに入力しておけば、クスリを飲むたびにチェックしてくれて、クスリの投薬ミスを未然に防いでくれるシステムができるようになるわけです(中略)チップをシャツに付けておくこともできます。コンピュータがその人の日頃の体温をわかっていると、体温が上がってきたらたぶん暑いのだろうというのでエアコンの温度を下げてくれるということもできるわけです(中略)コンピュータを私たちが住んでいるこういう生活の空間の中に思いっきりたくさんばらまいて、モノというモノ全部に小さなコンピュータを付けて、今の世の中がどうなっているかを認識させる(中略)それが、「ユビキタス・コンピューティング」なのです」
この「ユビキタス・コンピューティング」の実践事例として、新たなビジネスチャンスという点からみて有望なのが、我々一人ひとりの遺伝子情報の差異を抽出し、「遺伝子チップ(ジーンチップ)」に定着するテクノロジーである。これにより、例えば個人がどのような遺伝的疾患の素因をもっているかを明らかにして、生活習慣病等の発症確率としてデータベース化することが可能になる。以下の記事を参照してみよう。
事例2:「遺伝子の個人差を90分で解析 理研などが共同開発」(2005年09月27日19時39分 asahi.com)
「1滴の血液から約90分で遺伝子の個人差を解析できる装置を、理化学研究所と島津製作所、凸版印刷が共同開発し、27日発表した。来秋の製品化を目指す。遺伝子の個人差は薬の効きやすさや副作用に関係しており、解析が簡便になることで、病院での薬の選択に生かすなど「オーダーメード医療」の実現に貢献するという。 調べたい人の血液を入れると、含まれるDNAを自動処理し、約90分で検査結果を出すことができる。従来は血液からDNAを抽出する操作などに手間がかかり、解析に半日以上かかっていた。装置は事務机の上に載る大きさで、病院が導入しやすいよう500万円以下での販売を目指す。 ある種の抗生物質で難聴が引き起こされる個人差や、血液を固まりにくくする薬の効きやすさを左右する個人差の検出で、装置の性能を確認した。何を検査するかは1人ごとに取り換えて使う検査チップ(1個数千円程度)次第だが、1回の検査で最大24カ所の遺伝子の違いを調べられる。米国では、抗がん剤の効きやすさの予測で、こうした検査が実用化されている。どのような遺伝子を対象にした検査チップを販売するかは、来秋までの研究動向をみて決めるという」
現在、こうしたデータベース化の作業を、セレラ・ジェノミクスを始めとする多くの企業が行っている。比喩でいえば、現在は、人間の共通の地図というものは分かった、ただ我々は、その意味を読み取れないシェイクスピアの本、つまりどこにどのような文字が書かれているかが分かっただけで、実際どのようなことが書かれているのかよく分かっていない本の読み取り作業を行っている。次にこの読み取りの段階でそれぞれの遺伝子の機能を、例えばある特定の癌の発現機構等をすべて明らかにするという第二段階がある。それと同時に、一人ひとりの遺伝子にそれぞれの機能があるのかないのかを明らかにすることが目指されており、(注2) セレラ・ジェノミクス等の企業戦略は、その情報を特許化して売るということである。つまり、個々人の特異的な遺伝形質に対応した「テーラーメイド治療」(注3)のために、インターネット上のデータベースにしておいて販売するという戦略がすでに進行している。なお、「遺伝子チップ(ジーンチップ)」を基盤にしたデータベース化という論点に関連して、1998年10月23日の厚生省(当時)厚生科学審議会「先端医療技術評価部会出生前診断専門委員会議事録」(p.18-19,26.)における武部委員の以下の発言が参照できる。
「武部委員(略)私は正直言って遺伝子のジーンチップというのが開発されてきますと、血液1滴でもって遺伝子検査というものは不特定多数に出来る時代がもう来ていると思っております(中略)ジーンチップは御存じだとは思いますが、血液1滴取って小さな半インチ四方のところにやると、今の段階で最大4万6,000の遺伝情報が分かるというのも開発されていますので、そういう時代が来ることを予測しないと、一々特定のことだけ言っておったのではちょっと時代についていけないという印象を持っています(中略)生命保険に遺伝情報が利用されるおそれというおそれは非常に高いと思っております。既に、家族性大腸ポリボースで生命保険の加入を断られた例が実際にあるということをある医師から聞いております。遺伝子診断の結果等を生命保険や健康保険は、利用することはアメリカでは完全に禁止する方向に行っておりますので、日本も私は是非そういう方向に行ってほしいと思っています」
このように、我々は、マイクロチップに定着され可視的なものとなった自分の遺伝子を自分の好きなように改変できるチャンスに直面する。そのとき、個々人の遺伝形質改造のニーズに対応した医療が、膨大な利潤をもたらす産業に成長する。このとき「汎優生主義」は、より生存に値する存在に我々自身を改変する際限のない志向性として機能する。

 社会的装置としての「汎優生主義」の配備
このような流れと相関して、我々が自らの社会性をどのように獲得していくのかというテーマが浮上する。我々が社会性を獲得するということは、他者との出会いにおいて、自分が万能であるという幻想を断念することである。我々は、それ以外の可能性を断念して選び取った可能性の実現を目指していく。現在、この意味での社会性の獲得が困難となっている。このテーマを、データベース装置との関わりにおいて考察してみたい。データベース装置とは、「汎優生主義」が社会的装置として配備されたものである。 
データベース装置は、我々の生存を無際限に階層化し選別するという機能を持つ。ここにおいて、「この私は他人より、生存に値するか」という問いが、きわめて切実なものとして浮上する。そのことを示していた事例として、SMAPの「世界にひとつだけの花」という作品の流行がある。この作品は、自分自身の今現在の生存より、実はもっと素晴らしい生存がいくらもあることに傷ついている多くの人々の心を癒す役割をタイムリーに果たしていた。SMAPという存在は、癒しを求める者たちにとって、傷を癒してくれるカリスマとして受け取られたのだ。ここには、この私を、優れた存在として受容し、承認してほしいという切実な欲望がある。現実世界では叶えられないが、このような我々自身の欲望が、あの歌の出現を必然とした。
データベースのレベルでは、こうした欲望は万能感につながる。我々の生存のあらゆるレベルにおいて、いわゆる生活水準、IQ、あらゆる能力を測定する試験の成績、どこに住んでいるか、(反)社会性等々、そういったミクロな、そしてあらゆる水準で階層序列化された、評価可能なデータを共有できるようになった。強固な幻想として階層序列化されたデータを共有することにより、社会性の獲得はきわめて困難となる。
次に、我々の社会において笑いを統御する役割を担っているテロップ(Television opaque projector)を取り上げてみたい。テレビ画面で多様に乱舞する文字画像のことである。テロップは、今やあらゆるジャンルの番組でありふれたものとなっている。テロップは、その編集・プロデュース機能によって我々の笑いを先取りして制御し、その笑いを「お笑い」として取り込んでいく。以前は、出演者の発話の模写であったが、現在ではむしろ「面白く要約・編集したもの(発話に対する「つっこみ」等)」が主流になっている。我々はそうした「お笑い文字画像」をいつも見せられている。こうして、「笑っていい発話」が文字画像として指示される。それは、暗黙の指示言語である。その都度の場面で我々に提示されるが、同時に、あらかじめどこかに書かれている指令として機能する。
データベースは「無いないよりはあった方がいい」ということは、一般論としては否定できない。緻密なデータベースは、個々のクライエントのニーズに対応した的確なサービスを24時間体制で提供するためには必須である。このデータベースの有効性は利潤に直結するためクローズドな状態におかれ、外部の人間がアクセスすることはできない。そのことが、この私が知り得なくても、すべての問いにはどこかにその答、データがあるはずだということである。だが、そう思えるようになったのは、巨大で進化した検索型データベースに庶民がアクセスできるようになったからでもある。検索さえできれば何でも分かるという無意識が生まれた。我々の日常の一挙手一投足がなんらかのデータとして先取りされ、自分が知りたいことも知りたくないこともすべてデータベース化されているという幻想が生じている。データベースの編集機能は、ユーザーのミクロな嗜好性まで指示的に構成する。そこに生まれる<我々自身の無意識>を対象化することは、同時に「個人」ということの内実を問う作業となる。

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